2012年3月9日金曜日

棺と大学教育

下記の文章は、数年前のものですが是非ご紹介したくて「エコフィン・カフェ」よりコピーしてきたものです

*棺と大学教育*

  名古屋学院大学 人間健康学部・リハビリテーション学科

  教授 増田 喜治


「紫の棺桶が名古屋学院大学に運搬されてきた時のことを、今でも鮮明に覚えています。それは、想像以上に大きく、美しい器のようでした。一目見るだけで、静かに死の世界へ自分を押し出してくれるような、インパクトがありました。人目を意識しながら、私は速やかにその棺桶をガラクタが散在している研究室に運び入れました。その午後、心に病のある学生の一人が小声でこのように語ってくれました。「『爆死せよ。爆死せよ。』という言葉が聞こえて、寝れないのです。」早速、その学生を研究室に招待し、とりあえず立てかけてある棺桶に手を触れてもらいました。その学生は暫く考えて、このように言いました。「先生、死というものは静かなものですね。」無事、入棺を果たした別の学生は、「人間が最終的に必要なのは、この棺桶の空間だけです。」と語り、「扉をバタンと閉められた時、現実空間から拒絶され、異次元の空間への旅立ちを一瞬、感じました。」とも述べています。またある日本人の宣教師は、「棺桶に入った瞬間、天国へダイビングしているような感じがした」と入棺の体験を述べています。また、年に一度は棺桶をチャペルの講壇前に設置し、私は死と対話する必要性を淡々と語ります。夏期英語講習の蒸し暑い最終日に喝をいれるため、教室内に棺桶を持ち込んで、授業展開をしたこともあります。このように棺桶は自ら言葉を発して、心の必要に応じて様々のメッセージを私たちに語りかけます。
キリスト教主義の我が大学の美しいキャンパスにおいて「死」を考え、「死」の臨在感を覚える場として、チャペルの十字架があります。しかし、近年のゴスペルブームにより、十字架はファションとなり、死よりも生、苦しみよりも楽しみ、自己内省よりも自己表現の手段と格下げされてしまいました。一方、キャンパスを行き交う元気な学生達の影となり、生ける屍のごとく右往左往しながら、肩を落として歩いている姿を垣間みることがあります。この自然豊かなキャンパスにおいても、精神的な死は確実に、あまり認知されないで浸透しています。
このような状況の中で、私の英語の授業では、「死」のリアリティを内在化させるため、'end'という単語には「終わり」と「目的」という2つの異なった定義があることを解説しています。そして「終わり」と「目的」のように一見すれば関連ない概念がなぜ共存しているのかを学生達に問います。その答えは単純明快に旧約聖書に以下のように啓示されています。

「死の日は生まれる日にまさる。祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行くほうがよい。そこには、すべての人の終わり(END)があり、生きている者がそれに(目的)に心を留めるようになるからだ。」  伝道者の書7章1節~2節

伝道者は語ります。「人が生まれた日は結構なことや、人が死んだ日もっともっと結構なこと。それは永遠への旅立ち。」なんという皮肉、なんという逆説。さらに伝道者は続けます。「宴会で楽しく騒いでも、人生の根本的問題解決には何もならへん。葬式に行って、棺桶を凝視しろ。終わりを悟らんか。その時に、棺桶は生きる目的をあんたの心に刻み込むのや。」
伝道者の言葉を読み、"end"という単語を授業の中で引用するたびに、死が持っている強烈なインパクトを棺桶で学生達にチャレンジしたいという願望が突如、思い浮かんできました。そんな時、タイミングよく名古屋学院大学のOBである増田進弘氏より三層式段ボールの棺桶の提供の話があったのでした。

Ecoffinology(エコフィンノロジー)とは、ecology(エコロジー:生態学) 、coffin(コフィン:棺桶)、-ology(オロジー:学問) を組み合わせた造語で、自然の生態との関連において棺桶の役割を美学として考え、人間教育を始めとして様々の分野へ応用していく先覚的で斬新的な実学です。棺桶に遺体を入れて焼却することは、自然の原理と生態に反する事であり、土葬や自然葬の形で葬むられたい, と願っている多くの方々がいることは事実です。聖書には、「あなたは塵だから、塵に帰り、土に帰る」(創世記3:19)とあります。従って、ある意味において生態学と棺桶学は相反する価値観を持っている事になりますが、これもまた興味深いテーマです。今後、この問題に関しても活発な議論が行われる事を期待しています。棺桶と大学教育、一見するとミスマッチのような感じがしますが、若者に「死」と対話させることにより、「生」の重さ、深さ、高さ、広さを感じ取る場を設ける事ができると思います。
Ecoffinologyの門出を心からの祝い、この概念が私たちの生活に浸透し、棺桶が豊かな人生を創造し、豊かな自然を守る道標となることを願って止まないものです。」

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