2014年7月18日金曜日

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私たちの生活を豊かにしてくれるツールとして様々なモノは今日まで進化し続け、
便利な暮らしや効率の良い仕事ができるようになっています。
しかし、何故か、どこか満足感が得られないと感じている人が
増えているような気がします。

例えば電気製品は、私たちの生活には欠く事の出来ないモノです。
昔の事を言えば笑われますが、それまでタライと洗濯板で時間をかけて洗濯。
その後、電気洗濯機が登場。2層式になり、全自動になり・・・
ドンドン製品は進化。時間と労力を掛けなくても、スイッチさえ入れれば
誰でも洗濯が出来るようになりました。

それで私たちの暮らしは豊かになったのでしょうか?

また、かつては紙に筆記具で手紙を書き、郵便ポストに投函して、
郵便配達の人が相手先まで手紙が届くというシステムでした。
届くまでの時間と返信の間が楽しみでもありました。
このごろは、もっぱらEメール。要件を打ってシューっと、
地球上のどこまでも瞬時に届けることができます。

便利なツールで、私たちはコミュニケーションを上達させたのでしょうか。

また、便利にはなって自分の仕事は効率よくスピードアップされたが、
返信も早く以前より忙しくなり、時間が足りなくなって残業ばかり・・・と
よく聞きます。

要件を瞬時に伝達でき便利になった反面、内容や相手の状況を思い浮かべたり、
気持を考えたりしながら文章を綴るということは少なくなっていませんか? 

効率的で便利な暮らしばかり求め、それに慣れてしまいますと、いつしか思考も
行動もいつの間にか深く考えるという事が少なくなって、体裁だけ整えるだけに
なってしまうのが私たち人間です。

「葬儀」の場面ではいかがでしょう。
葬儀には何回も会葬しているけれど、ほとんどのコトは葬儀社の人が
仕切っているので、自分は手伝うこともなく「お客さん」として参列するだけ。
頭ではこれまでの会葬の経験やメディアでの葬儀情報番組でイメージできるの
だけれども・・・実際には、どこから、いつどのような行動を起こしたらよいか
経験もなく全く分からない状態です。

考えておかなくても、いざと言う時には葬儀社のホールを使い、
葬儀社が提示した何でも含まれているプランを使い、
言われるがままに過ごせば、効率は良いし手間はかからないし、
あっという間にお葬式は終わってしまうでしょう。

でも本当に「そんな風に済ませてしまってよいのでしょうか?」

親しくしていた方々と、
心ゆくまで故人にまつわる物語を紡ぎ直す時間はありましたか?
その人の生きた意義をみつめ、
心からのお別れをする時間はもてたのでしょうか?

もしかしたら私たちは、便利さを追い求めるあまり、
大切なことを見失ってしまっていたのかもしれません...。
お葬式は見送る人と、見送られる人の関係性(コミュニケーション)の中で
営まれるもの。互いの想いが行き来する時間を、
効率や、便利さで済ませることは出来ないのです。
そしてその時間は、なんの準備もせずに創り上げることはできません。

これから楽交」は「生き方」が「逝き方」であると考えます。
いつか誰にでも「その日」は訪れます。
見送る側、見送られる側、双方を想い合い、
「これから」いかに生きるのか、「これから楽交」で一緒に考えてみませんか?

2014年7月9日水曜日

それぞれの「3分間」 ”生”を見つめるための入棺体験会

「3分」という時の流れ、
普段の暮らしのなかでは「あっという間」 それとも?
どのようなイメージがありますか?


新宿区にある寺町の静かな一角にある専行寺(新宿区原町)で、【お出かけ「これから楽交」 ”生”を見つめるための入棺体験会】を夕刻から行いました。

 
 
お寺が本来もつ、人と人、人と地域が繋がり、安心して集える場として、もっと地域と繋がりたいと活動をされている「専行寺」。
 
 
「生き方」と「逝き方」を楽しく学ぶコミュニティ活動として、普段の暮らし、地域のなかでもっと活動を広めたい「これから楽交」。
 
 
互いに伝えたい「根っこ」を共感し実現した協働活動として5月から始まりました。
 
 
専行寺の本堂です。普段、お寺に行かれることってありますか?気軽にお邪魔するには、なんとなく敷居が高いような…、そんなお寺に足を踏み入れ、輝くご本尊や重厚な雰囲気に、思わず背筋もピンとして、はじめは皆さんから笑顔が消え、とても緊張されています。
 

専行寺では、特徴的に「ひとり静かに棺に入る」という非日常の時を体験できます。

照明を暗く落とし、静かな本堂。ご本尊の前に置かれた「エコフィン・イズ(棺)」。エコフィンは(エコロジー+コフィン・棺)という名前で、人と自然、環境が循環する繋がりを考えた棺です。そこで、ひとり静かに蓋を閉じて、3分間、入棺体験を行います。



お集まりの方々と、日本のお葬式(火葬)の現状と環境問題との繋がり、時代と共に変化する家族のカタチと人を弔うというお葬式の本質、「いのち」のことを、一緒に考えていきます。

平松ご住職から、ある高校生による、ご自身が御祖父様を亡くされた死の体験を通じて、いのちについて学び考える新聞投稿から感じたことを題材にお話いただき、坊守(ぼうもり)の平松さんから、より生きやすい考え方、教えについてお話をいただく貴重な機会をいただきました。お坊さんや、お寺の坊守さんと、特別な日ではなく、日常の暮らしのなかで気軽にお話できること、本当に素敵だなと思っています。本当はもっと、お寺と人が近くなると、互いにとってもいいことがあるのではないかな、と思います。


 

今回の体験会、「入る3分出る3分」という新たな言葉ができました。

私たちは、「3分間」の入棺体験をしています。今回、順番に、それぞれが棺に入る体験をし、その後、次の方の棺の蓋を閉めて3分間、棺の側で待ちます。送る人、送られる人、それぞれの3分間を感じるプログラムです。宗派によっては、家族全員の手によって、棺の蓋を閉めることがあるそうです。


◆参加いただいた方の声◆

真っ暗な中での3分間、自分のこと、家族のことに思いをはせるひとときになりました。非日常の体験ができました。

自分が死ぬ時の送られ方、亡くなった家族のこと、健在ですが自分の親のことを考えました。

死ぬってどんなことなのかを知りたいと思っていたので参加しました

やはり生きている間は楽しんでやっていきたいと思ったり、あの世にいく時は”楽しませてもらった”と言いたいと思った

何を感じるか、やってみないと想像もつかなかったので参加しました

残念ながら、3分は足りませんでした…、キョロキョロしてあっという間だったので、心が定まらず…、3分終了

楽しい場で予想外でした。死を意識したり、生きるありがたさを感じたい気がしていましたが、今日のこの時間が笑顔と和のあるものだったので、それが生なのだと思えました

入る前と入る後、気持ちの変化は何もない!3分間ずっと動いていた。静かにできない自分を発見した。あと、目を開けても暗く、何もみえないことにおどろいた‼

こわいかな…という思いはなかった。それより、前の人の温かみがのこっていてあつかった(笑)

自分が入っている時間の3分と、傍で待つ3分は、同じ時間でも、全く違う3分間に感じました。
―――――

お寺で、”生”を見つめるための入棺体験会。

棺に入ると、夕刻ということもあり、お腹がすいてお腹のなる音が棺のなかで響き、自分は今、生きているんだな、と感じましたという感想もありました。

今、生きているということ、それが、誰しにもあるいつか逝くことに繋がる。

これから楽交では、これからの「生き方」と「逝き方」を楽しく学ぶコミュニティ活動を通じて、それぞれの私らしい、自分らしい生き方を見つめて考えていくこと、楽しく学び合う場を地域の皆さんと一緒に、これからも活動していきたいと思っています。

次回はご一緒にいかがですか?ぜひお待ちしております。

真宗大谷派 専行寺
東京都新宿区原町3丁目26番
※入棺体験会の詳しい日程についてはお問合せください
03-3203-7625

2014年7月2日水曜日

海に還る、自然葬  海洋散骨という選択

「散骨」と聞いて、どんなイメージをもたれますか?

自然葬、という言葉が登場し、既に20年近くもたつそうです。

自然葬は「海洋散骨」や「樹木葬」など、「お墓」に入るかわりに、遺灰を海や山へまく「散骨」をして、その方が好きだった場所などで、思い出と共に自然に還ることを選ばれる方法のひとつとして、知られるようになりました。

近年、核家族から更に独居や二人世帯も多くなる都心では、誰が「お墓」を守るのか、その継承者問題など、現代お墓事情も複雑化し、悩みの声も多く聞かるようになりました。


これから楽交では、今回、「”私らしさ”葬送計画 散骨は素敵だ」と題し、海洋自然葬の「風」代表の松木さんから、海に還る海洋散骨についてお話をうかがう講座を行いました。



スライドでは、広がる青い一面の海に、船上から色とりどりの花びらと、白い粉末が、風にのって海に流れていく様子が映っていました。また、その方が好きだった、飲み物などをそっと注ぐような場面もみられました。


「遺骨が海に広がっていくのが、天に昇って還っていく感じがする」

「世界中、海はつながっているので、どこに居ても海を見た時に思い出し、心の中で手を合わせてくれれば…と思います」

「海にまく、思い出の場所にかえる、美しいお花にロマンを感じました」

参加いただいた方からの感想や質問など、終始、話がつきない講座となりました。

好きな場所に散骨してもらい、自然のなかへ還っていく、という、とてもロマンティックなイメージをもっていた海洋散骨。でも、その反面、お墓を持てない、お墓の継承者がいない、という現実的な側面から、お墓でない選択肢として、遺骨を海へ、という方法が選ばれていることも、散骨が年々増加している背景の理由として知ることができました。

「海に散骨してほしい」と、家族にその希望を伝えていても、実際には、遺された家族が散骨に抵抗がありキャンセルとなってしまったりと、本人と家族とのコミュニケーションの必要性も改めて感じるエピソードもありました。この世を去る人、遺る人、それぞれの思いもまた、必ずしも一緒であるとは限りませんね…。

今回の「海洋散骨」のお話をうかがう中で、よりリアルに「自分らしい葬送」について、皆さんと一緒に考えてみることができたように思いました。