生活者の葬送に対する意識の変化は、費用や規模だけでなく様々なところに現れています。
私たちの領域で言えば、10年以上前では「棺」は見たくないとう意識は相当強くありました。
しかし、変化したのは女性からでした。
「あら、キレイな棺桶ね」とか「環境にいい棺?」というように言葉にも表し、さらに近づいてきて、あの覗き窓を開けたり締めたり、触ったり、中には入ってみたいとか・・・と変化しました。
ところが、何故か男性はといえば「縁起でもない・・・」といって拒否される方が多く、近寄らずに遠目で棺を見ていると言う状態が続きました。
ところが、今はエコフィンの取扱店である葬儀社様のイベントでの風景で言えば、ご夫婦でエコフィンをご覧になり、「棺もエコかぁ」「やっぱり、おとうさん(ご主人のこと)エコだね、そうしようよ」というように自動車を購入するかのように、棺も自分の葬送時のことを想定して選択する時代になりました。ものすごい変化です。
このように変化しているなかで、先日亡くなられた吉本隆明氏が、『よい「お葬式」入門。』(講談社 2009年発行)というムックの特別インタビューでこんなことを言われていました。
*以下抜粋です。
当時の僕の恐怖の正体は・・・「自分が焼き場に運ばれて、棺桶の中でジリジリ焼かれていって」というイメージでした。これが頻繁に鮮明に浮かんだものだから、もうたまらなかった。こういう死のイメージって、割合、沢山の方々に共通することではないでしょうか。
・・・と言うのも「風立ちぬ」「美しい村」などの作品を書いた堀辰雄って、非常に美しい場面を書いていって、しかも、そういう叙情をきちんと自分の役割にしている小説家ですよね。しかし、美しいものばかり書いているその堀辰雄の作品をよくよく読んでみたらーーー「自分を入れた棺桶が他人に担がれて、葬列が進んでゆく」それを、棺桶の内側から見ているなんてイメージが描写されているんです。堀辰雄の棺桶は火がつかないので細部は異なるけれども、やはり恐怖は「棺桶」にあるのだなぁ、と驚いたんですね。
と言うことだったんです。
棺の中に入れられ、火葬場でジリジリと焼かれるイメージが私たちに恐怖感を与えていたのでしょう。これはどなたでも一緒だろうと思います。
カタチや色などの見た目に美しいデザインやコンセプトが、住む世界の変化とあわせて、私たちの棺や葬儀のイメージを変えて行くのでしょう。
その吉本氏もその後、「なぜ怖くなくなったのか。これも簡単には説明できないけど、自分の当面した感触を言うとしたら、70歳を過ぎたぐらいの時期に、棺桶のイメージは、知らないうちに消えていったんですよ。」と。
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