2013年5月2日木曜日

日本の葬儀は謎だらけ!?

3月20日「春分の日」、札幌で行われた「葬送を考える市民の会」主催の葬送フェアにて、
取材でいらしていた小説家デビッド・ゾペティさんにお会いしました。
ゾペティさんの代表作「いちげんさん」は「第20回すばる文学賞」を受賞、
映画化もされましたので、ご存知の方は多いことと思います。
今回は終活を主題とする新作のために取材されていたそうです。

葬送を考える市民の会」の会報誌「ハッピーエンド」N0.75に、ゾペティさんが日本の葬儀について感じたことを率直に書かれた記事があり、内容は「うんうん」と納得させられることばかり...!
皆さんにもお読み頂きたいと思い、紹介させて頂くことにしました。


「不可思議な日本の葬儀」
小説家デビッド・ゾペティ

「日本の地を初めて踏んでから早いもので30年が経とうとしています。
その間、違和感を覚えたことは数えきれないほどあります。
その中で日本の葬儀はベストスリーに入っていると言っても過言ではありません。
葬送の専門家ではありませんし、例外はいくらでもありますが、私の印象をアトランダムに述べるなら....、
とにもかくにも慌ただしい!
心を鎮めて、納得いく形で故人を送ることのなんと難しそうなこと!
どういうわけか、女性がお手伝いでよく働かされている!
お坊さんが気難しい顔で誰も理解できないお経を延々とあげている!
エトセトラ、エトセトラ。

日本で人が旅立つ時、すべてを仕切るのは葬儀社のようです。
彼らは、疲れ果て悲しみのどん底に陥っている遺族に様々なプランを提示します。
まるで寿司の出前のメニューのようです。
問題は一般の人は葬儀社の”メニュー”に馴染みがありません!
豪華な祭壇、花、種々雑多な棺などを急に見せられても、どれを選べばいいか分かるわけがない。
そこで「他の方はどうされていますか、常識的に恥をかかないものが好ましいですが」と日本では他人の目を気にします。
結果、葬儀社誘導のベルトコンベヤーに乗ったような状況で物事が運ぶ葬儀になりがちです。

戒名という習慣も謎です。
私の理解では、戒名は故人が釈迦様の弟子になる、という意味を持つものです。
本来は生きている間にお坊さんがお寺との関わり(と日頃の行い?)に基づいて与えるもので、遺族はお布施という形で感謝の気持ちを現します。
しかし現状は、格を気にする人が多くて、少しでもランクの高い戒名を”買おう”と、多額の戒名料を支払うケースがほとんどです。
相場があるようで実は全くなく(!)、その値段はなんと何十万から何百万までと、葬儀の費用と合わせると、洒落たイタリア車が買えるくらいの出費になったりします。

私は少し心配です。
我が人生で予想外の大きな転換が訪れない限り、日本に骨を埋めることになるでしょう。
祖国スイスのような手作り的でアットホームな(そして安い)お葬式ができるように、準備を始めた方がいいかもしれません。
小説の取材で「葬送を考える市民の会」の皆さんとお話をして、日本でも自己流の葬儀を望んでいる人が増えていること、本当は無限の送り方と送られ方があることを初めて知り、いくらかホッとしました。いつかポキッと逝ってしまうか分からないのですから早めに、と頭では分かっていますが、やはり現実味が湧かず、まだ具体的な行動を起こすには至っていません。
あなたはどうですか.....。」
(NPO法人「葬送を考える市民の会」会報誌ハッピーエンドNo.75「葬送雑感」より転載。)


葬儀において大切なのは、規模や形式ではありません。
しっかりと感謝とお別れができる、私たちらしい葬送のカタチとは...?
「葬送を考える市民の会」をはじめ、今そう考える人達が今日本全国に大勢います。
ゾペティさんの祖国スイスの手づくり的でアットホームなお葬式、私たち日本でもきっと参考に出来るヒントがたくさんあることでしょう!
いつかエコフィン・ラボでお話をお聞かせ頂ける日がくることを楽しみに...。


【関連項目】
NPO「
葬送を考える市民の会
女たちのお葬式」(太田出版)
ウィルライフ株式会社 
エコフィン・ラボ








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